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2014年7月 5日 (土)

マーメイド/マーマンMerMaid/Merman

●海の人間たち
マーメイド(マーマン)……この言葉に特別な想いを感じる人は多いのではないでしょうか。
神話にその起源を持つこの半人半魚の種族は、アンデルセンの「人魚姫」によって、子供たちのアイドルへと昇華しました。
また、彼女たちをモチーフにしたエンターテインメント作品も数多く作られ、ディズニーの映画「リトル・マーメイド」や高橋留美子の漫画「人魚の森」などは、本家に劣らぬ高い人気を誇りました。

半人半魚という形も、考えてみれば変な姿ですが、古くから「海にも地上と同じような人間がいて、動物がいて、人間社会のようなものがある」という考え方があって、その「海の人間たち」の生活ぶりを考えた際、人間と同じような直立二本足という姿をイメージするよりは、むしろ半分人間、半分魚といった姿を考える方が分かりやすかったのかも知れません。

この「海の人間」は古代英語で「海の女」「海の男」を意味するマーメイドMerMaid、マーマンMermanの名前がつけられ、今はマーメイドの方のみが一般に知られていますが、近年のファンタジーブームによってマーマンもその知名度を徐々に上げ始めています。


●美しき人魚たち
さて、アンデルセンの「人魚姫」の影響からか、人魚と言えばヨーロッパの近海というイメージがありますが、半人半魚の精霊・怪物の話は世界中に散在します。
現在あるような半人半魚のイメージは古代バビロニア(トルコ)の海神オアンネスが最初だと言われ、アッシリア(イラク)の半人半魚の神ダゴンなどはこのオアンネスのイメージが伝えられたものだと言われています。

このオアンネスのイメージは、古代エジプトを通じてギリシアやアラブ一帯に持ち込まれ、ギリシア神話にもトリトンやグラウコスをはじめとする半人半魚の神がしばしば登場しています。

魚ではありませんが、セイレーンという半人半鳥の怪物は海辺に座って船乗りたちを海の底に誘い込んだと言われ、これはアンデルセンの人魚姫のイメージに繋がります。

ちなみに「オデュッセイア」によれば、セイレーンは近くを通りかかった英雄オデュッセウス一行を誘い込みますが、彼らは耳栓をしマストに身体を縛り付けてやり過ごします。
それを見て彼女たちは海に飛び込んで魚に変化しました。中世の人魚が、しばしば翼でを持つ姿で描かれるのは、このエピソードが影響していると考えられています。

ヨーロッパ以外にも人魚と人間の邂逅(かいこう)の話はいくつかありまして、例えば「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」には、人魚と出会い、その宮殿に赴いた男の話が残っています。
日本にも、半人半魚の姿ではありませんが、「浦島太郎」に出てくる乙姫や竜王など、海の底に暮らしている人々の話が伝えられています。


●人魚と水場
人魚は水場が持つ危険性の象徴でもあります。危険な海や森奥深くの水場などにはことごとく人魚のような存在がいると言われ、北欧にも人魚ニクスや暴れ馬ケルピー、根っこに擬態するノッケンなどのように、水に引きずり込んで溺れさせる妖精の話がいくつか伝えられています。

そもそも、人魚の姿自身が、水に足を取られて溺れている人間の姿を表わしていると言います。
不思議な歌声は溺れた人が発する悲鳴や異国語の叫びであり、金髪碧眼はヨーロッパ本土に迷い込んできた北欧・ゲルマン系の人々の姿、人魚が波間で手を振り、しばらくして海の中に消えてゆくのも、力尽きて海の底へ沈んでゆくイメージととらえることができます。


●目撃された人魚たち
人魚はその実在が長く信じられたものの一つです。
かのクリストファー・コロンブスも、アメリカ大陸への航海中に数回「人魚を見た」と航海日誌に記しています。
19世紀のイギリスでは「領海内にいる人魚はすべて国家のもの」と言う法律を制定しました。古代ローマの博物学者プリニウスも、「ネレイス」という人魚を著書「博物誌」の中で紹介しています。

1523年には、ローマで「人魚の骨」も見つかっています。4歳の男の子ぐらいの大きさで、恐らくは畸形の子供の骨だったのではないでしょうか。
1404年にはオランダで生きた人魚が発見され、住民によって手厚く保護された記録が残っています。何と発見した司祭により洗礼まで受けたと言うことです。

1663年、オランダ軍のとある大佐はインドネシアのアンボイナ諸島付近で男の人魚を目撃しました。
それによれば、彼は髪を長く垂らし、灰色と緑色の中間のような色をしていたと言うことです。島民の話によれば、この地域には人魚のようなものが多く棲息し、しばしば捕らえて植民地の知事に贈ることもあったと言うことです。


●日本の人魚
戦国時代に日本を訪れたヨーロッパ人は、恐らく会う人会う人に「この国に人魚はいるか?」と聞いて回ったに違いありません。

「人魚とは何か?」と日本人が聞くと、「上半身が人間みたいなので、下半身が魚で……」と言う。もちろん、そんなものは日本どころか世界のどこにもいないわけですが、一部の聡い商人が「これは商売になる!」と思い、サルの死体と魚の下半分を組み合わせてちょうど人魚みたいなものを作り上げました。

もちろん、「新鮮」なものを使うとすぐにサルだとバレるので、乾物(ミイラ)にしたものを使いました。
「あいにく生きたものはおりませんが、ミイラなら残っております」というわけです。あるいは、彼らの手先の器用さを見たヨーロッパ人の方が、「こんなものを作らないか?」と日本人へ持ちかけたのかも知れません。

いずれにしろ、こうして作られた「人魚」たちはヨーロッパに「輸出」され、東洋のエキゾシズム(異国情緒)の最たるものとして、各地で大変な評判となりました。
特に、19世紀にアメリカのパーナム一団によって紹介された「フィジー人魚(と名前がつけられておりますがフィジー製ではなく日本製)」は、各国が奪い合いを繰り広げるほどの騒ぎになりました。

これらのミイラは、すべてがヨーロッパに出荷されたわけではなく、一部は寺院や富裕家に譲り渡され、今でもその姿は古い寺や郷土資料館などで見ることができます。


●人魚のイメージ
人魚はしばしば悪魔のイメージを持ちます。

人魚は海が化身したものであり、魂を持たないので、しばしば人間の持つ魂を欲しがります。魂を欲しがるのは悪魔の持つ性質のひとつでもあるので、ゆえに魂が得られないと彼らは存在意義を失い、元の場所に戻ることを余儀なくされます。

アンデルセンの「人魚姫」も、やはり王子様の愛(=魂)を手に入れようとして大切な声を失い(=悪魔が大切なものと引き替えに何かを与えるイメージ)、そして愛を手に入れられないと悟った瞬間、泡(=元の水)になって消えてしまいました。

人魚の肉が不老長寿を授けると言うのもよく聞く話で、日本にも、この肉を喰らい800年の生命を得た「八百比丘尼(やおびくに)」の伝承が残っています。
ちなみに、先に少し触れた高橋留美子の「人魚の森」も、この八百比丘尼をモチーフにしたものです。

人魚はまた、その美しさから美そのもの、あるいは芸術や感性を象徴します。
また、ポーランドの独立運動の際、彼らの落書があちこちに描かれたことから、ポーランド独立運動の象徴として使われる場合もあります。



●亜種・別名など
人魚(姫)/オアンネス/メロウ/ミンナ/トリトン/セイレーン/アブズラー/ギルマン(半魚人)/ダゴン/グラウコス/ドゥンナ・マリ

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