日本の妖怪

2014年7月 6日 (日)

付紐小僧Tsukehimo-kozo

●小豆洗いの相棒
付紐小僧(つけひもこぞう)は日本の妖怪です。信州(長野県)の南佐久郡で語られる存在であり、小豆洗いの相棒とも考えられています。
付紐小僧は「小豆とぎ屋敷」と呼ばれる屋敷のそばに、夕方頃現れるようです。

背格好は7、8歳くらいの子供であり、いつも付紐(つけひも:着物の胴に縫い付けられている細いヒモ)をだらしなく垂れ下げているので、結んであげようとすると、催眠状態に置かれ、気がつけば朝になっているとも、あるいは一晩中どこかを歩かされるとも言われています。

その正体は不明です。

天狗Tengu

●天狗とは
天狗とは、日本各地に散在する妖怪です。
主に高山に棲み、神通力を使ってさまざまな怪異をもたらすと信じられていました。

一般に赤顔鼻高、山伏(やまぶし)の格好で、あらゆるものを吹き飛ばす団扇(うちわ)を持ち、一本足の高下駄をはく格好で知られますが、この格好が定着したのは江戸時代以降と言われ、それまではさまざまな格好を取るとされていました。


●天狗のルーツ
天狗のルーツは古く、蘇我馬子と聖徳太子が編んだとされる「旧事記」には、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の体内から猛気が吐物として発され、それが変化して人身獣首の天狗神(あまのざこがみ)という女神になったとされています。
ただ、「旧事記」自体は平安時代の偽書と言われており、信憑性はあまり高くありません。

信憑性の高い「天狗」の初見は「日本書紀」であり、舒明天皇九年(西暦637年)の項目に「天狗」の記述があります。
それによれば、この年の7月21日に、流星が雷のような音を立てて落ち、人びとが「流れ星が鳴った」と騒いでいたところ、唐から来ていた閔僧(びんのほうし)が、「これは流星ではない、天狗(あまのきつね)というものだ」と言ったとされています。

「史記」「漢書」によると、中国の占星術において、音を立てて落下する流れ星を「天狗星(てんこうせい)」と呼び、凶兆としました。
「天の狗(いぬ)」と書くのは、「天狗星」の落ちた場所には必ず狗(いぬ)のたぐいがいるからだそうです。

天狗は平安時代になると、山中に棲む目に見えない存在とされるようになり、「源氏物語」や「宇津保物語」に引用されるようになります。
「今昔物語集」によれば、天狗は仏法の障りをする魔として、トンビやオオワシの姿で描かれ、しばしば人間に幻術や憑依能力を使って悪をなすということです。


●善天狗と悪天狗
仏教僧は悟りを開き、徳を積むために厳しい修行を行いますが、自信過剰だったり、邪心、愛欲、この世への執着があったりすると、死後極楽浄土に行けず、「天狗道」と言われる魔道に墜ちます。

魔道に墜ちた僧侶は、そのまま天狗の姿に転生しますが、心優しかった僧侶は「善天狗」となり、他の修行僧を影ながら支え、けわしい霊山へお参りに来る人を、事故や魔性の災いから守ろうとし、心がけの悪い者にイタズラを仕掛けて恐れさせました。

一方、生前おごり高ぶり、悪心をもって死んだ者は「悪天狗」として転生し、他の修行僧の邪魔をして、自分と同じ「天狗道」に墜とそうと企みます。


●修験道と天狗
天狗のイメージと言えば山伏の格好が一般的ですが、これは従来の山の霊としての天狗と、日本古来の山岳信仰が結びついて生まれたもので、もともとは己の修業に慢心した修験者のことを、他宗派の僧侶が「天狗道に墜ちた」と非難したことから始まったとされています。

修験道は修行によって己の呪力を高めるところにその真髄があるので、山伏の姿を与えられた天狗はますますその呪力を高め、単に仏教僧に敵対・調伏される存在から、俗世間を離れた仙人・超人としての性格を持つに至りました。
鞍馬天狗をはじめとする山の名前を与えられた天狗、あるいは「○○坊」などと呼ばれる天狗は、みな修験道系の天狗だと言われています。

こうした天狗は善悪双方の面を持っているので、修験者を守護する一方で、山中に暴風雨を起こしたり、神隠しをしたりするような怖い面を持っています。

カラス天狗や鼻高天狗のイメージは、修験道寺院の法会(ほうえ)の際に、先払いとして登場する迦楼羅(かるら)面や治道(ちどう)面が影響していると言われています。


●天狗のイメージの変遷
鎌倉時代に山伏の姿を与えられた天狗は、南北朝時代に入るとますますそのパワーを強くし、怨霊が転じて天狗になる、という説がまことしやかにささやかれました。
日本最強の怨霊として名高い崇徳上皇も、怨霊を経て天狗になったひとりです。上田秋成の「雨月物語」にも、崇徳院が「天狗」の眷属三百を率いて西行法師に出会うという下りが書かれています。

かの南北朝の大動乱も、「太平記」によれば、崇徳天皇や後鳥羽天皇、後醍醐天皇などの不遇の天皇、あるいは玄隈、真済、慈恵、尊雲など不遇の高僧が大魔王となって起こしたものとされています。

「太平記」には他にも、くちばしと羽を持ち、さまざまな神通力に通じた天狗が登場しており、このころにはカラス天狗のイメージが一般化していたことが分かります。

江戸時代に入ると、神田祭や山王祭の先導役として天狗が出てくるようになり、鼻高天狗の人気が一躍高まります。天狗の特徴である赤ら顔は、天孫降臨の時に先導を務めた猿田彦(サルタヒコ)のイメージが合わさったものだと言われています。
やがて、鼻高天狗が高位の天狗(大天狗)であり、カラス天狗はその子分(小天狗)というヒエラルキーが確立され、絵物語などにも描かれるようになりました。

江戸時代中期の作と言われる「天狗経」によれば、全国に天狗は48種、12万5500人いると言われ、その筆頭は愛宕山(京都市)の太郎坊だと言われています。


●天狗にまつわる怪異
その一方で、姿を見せない天狗のイメージも、綿々と受けつがれてきました。
「天狗礫(てんぐつぶて)」や「天狗笑い」「天狗倒し」といった山中の怪異は、みな天狗が悪さをしているのだと人びとは噂し合いました。
「神隠し」も天狗が行っているという説がまことしやかにささやかれ、近年に至ってもこうした「天狗の神隠し」の噂は絶えません。


●天狗の超能力
天狗は主に次のような超能力を持っていると言われています。

幻術……姿を突如消したり、老人、女、子供、鳥、オオカミなどに化け、あたかも仏や菩薩がそこにいるかのように見せることができます。馬糞をおまんじゅうと偽って食べさせたり、「天狗倒し」などの木の倒れる轟音を立てたりします。

移動能力……ひと一人を抱え、一瞬で何百キロメートルも移動することができます。空中で静止することもできるようです。

念力や予知能力……「天狗礫(てんぐつぶて)」と呼ばれる小石を空から降らせたり、団扇(うちわ)で大風を起こし、家を倒壊させたりします。人の心を読むことにもたけ、その運命を予言したりもします。

武器製造……手裏剣や鉄砲を作り、忍者などに伝えたりしたと言われています。
恐らくは、ヨーロッパ人や大陸人などのイメージが何かの形で伝わったものでしょう。また、「遮那王」源義経に武技を授けたとも言われています。



●亜種・別名など
アマノキツネ/鞍馬天狗/鼻高天狗/大天狗/カラス天狗/小天狗/木の葉天狗/狗賓(ぐひん)/飯綱(いづな)天狗/ガラン坊/愛宕山太郎坊/比叡山次郎坊/日光山東光坊

砂かけ婆Sunakake-Babaa

●砂をかける妖怪
砂かけ婆(すなかけばばあ)とは、奈良県や兵庫県に出没すると言われている、砂をかける妖怪です。全国単位ではない、地方の妖怪ではありますが、「ゲゲゲの鬼太郎」のレギュラーとして出るようになり、その知名度は高いのではないでしょうか。

人気のない寂しい森や、神社の傍らを通る時、砂をぱらぱらと振りかけるものがあります。「誰だ」と怒って砂のかかった方向を見ると、そこには誰もいません。兵庫県などでは、これは目に見えない老婆のしわざとして、「砂かけ婆」の名を与えました。

一説には、この正体は狸(たぬき)だと言われていて、今津(現在の兵庫県西宮市今津)のとある家では、狸が松の木に登り、晩にその下を通る者へ砂をかけていたそうです。この砂は実在の砂ではなく、音だけという説もあります。


●他地方の砂かけ妖怪
砂をかける妖怪の話は全国各地に残っていて、おおむね狸のしわざとされています。徳島県板野郡ではスナフラシ(砂降らし)といい、砂をかけて方向感覚をなくさせ、川や水辺に人を誘導させて落とします。

そういった例を除けば、わりあい人畜無害で、あくまでも砂を頭の上から降らされるだけで済みます。

変わったものとしては、「砂かけ地蔵」というものがあって、この地蔵の前を通ると必ず砂がかけられると言うことです。
なお、狸の代わりに狐や猿、イタチを充てるパターンもあります。



●亜種・別名など
砂降らし/砂まき鼬(いたち)/砂まき狐/砂まき猿/砂まき地蔵/砂まき狸

鬼Oni

●日本随一の妖怪
「鬼」は妖怪としても、怪物としても抜群の知名度を誇ります。
「鬼」=「怖いもの、酷いもの」のイメージは未だに強く、他人に「鬼!」と言えば、それは人間らしい心を持たない冷たい人間のことを指し、今でも悪口としては最大級の威力を誇ります。

鬼と一口に言っても、昔話の鬼、伝説の鬼、信仰上の鬼、地獄の鬼、物語の鬼、芸能での鬼、実在する人間としての鬼、などいろいろあって、その意味するところは複雑です。

「おに」という言葉は、もともと「人間から隠れて棲んでいる」という言葉「隠(おん/おぬ)」から来ているという説と、神を守る大きな精霊を意味する「大人(おおひと)」から来ているという説があり、はっきりしていません。

漢字の「鬼」という文字が強力な存在を表すようになったのは平安時代末期のことで、それまでは「おに」の他に「かみ」「もの」「しこ」と読むこともありました。
「今昔物語集」にも、「鬼」と書いて「もの」と読ませる例があります。

日本初の漢和辞典「和名類聚抄(わめいるいじゅうしょう)」によれば、「おに」は目に見えなくても実体の感じられる霊的存在、「もの」は明瞭な形を伴わない、感覚的な霊的存在(気配)を呼ぶ、とあります。
「もの」は「もののけ」とも呼び、こちらの名前は妖怪ないし怪物の別名として有名です。


●鬼のイメージ
鬼の姿は、昔話によっておおむね次のような姿で固定されているようです。
すなわち、身長は八尺(約240センチ)を超え、筋骨たくましく、赤や青、あるいは黒い皮膚を持ち、頭には1本ないし2本の角、目は一つ眼か二つ眼、身体は裸体で毛深く、虎の皮のふんどしをはいている。
鉄棒(かなぼう)を持ち、時折人里に降りてきては、人や物に害を与え、住処は人里離れた洞窟の中――。

しかし、このイメージは意外と新しいものであり、古くはいろんな「鬼」がいました。
一本足の鬼、複雑な身体を持つ鬼、三つ目の鬼、何十何百という目を持つ鬼、角や口がない鬼、身長が何十メートルもある鬼、牛や馬とのキマイラ(合成動物)や老人、あるいは妖艶な美人もいました。

それもそのはず、「鬼」が指す範囲は、今よりも昔の方がはるかに広かったのです。
極端に醜い者や身体の一部が欠損した者、形がなく、恐ろしく感覚的な存在や力、気配、死の国へと導く霊的存在、辺境の蛮人・異邦人、強盗団や反体制派、神話世界の神と並ぶ力を持つ邪神も「鬼」と呼ばれていました。


●鬼の属性
鬼の基本的な属性は、人間界に姿を現し、人を襲撃した挙げ句に食べる、といったところにあります。つまり、人びとに幸福を与える「神」の対極にいるのが「鬼」だったのです。

「鬼が人を食う」という話は古く、「出雲国風土記」に田を耕す農民を食う一つ眼鬼の話が収録されています。
しかし、これらの「鬼」は、次第に神仏の力を得た高僧や、武勇・知恵をそなえた武士に退治、ないし追放される運命を辿ります。

鬼の生命力は不死とも言えるほど強靱です。
腕を切り取られて1週間が経っても、再び肩にくっつければ元通りになります。たとえ首を切り取られても、その首は討った人間をかみ殺そうとします。温羅(うら)という鬼は、斬られた首を土中に埋めても、何年も呻き続けたそうです。

むろん、その怪力は折り紙付きであり、鉄棒(かなぼう)を手にした鬼は「鬼に金棒」のたとえの通り、強力無比な存在となります。

彼らは知恵も使います。時に退治しに来た武者を撃退するため、時に復讐のため、いろんな姿に変身して、相手が油断したところを襲います。

彼らにルールは通用しません。平気で約定を破り、人さらいをし、略奪を働きます。

鬼の住処は「鬼ヶ城」もしくは「鬼ヶ島」と呼ばれる人里離れたところにあります。
ちなみに、この「鬼ヶ城」「鬼ヶ島」と呼ばれる場所は全国にいくつかあり、おおむね強い豪族・部族が治めていたところがそう呼ばれました。

鬼の働く時間はおおむね夕暮れから夜明けと決まっており、この時間に「百鬼夜行」が通ります。


●鬼の弱点
鬼の弱点は、桃と豆です。桃は邪気を祓い、よこしまな鬼を除きます。
鬼退治の主人公が「桃太郎」であることも、決して偶然ではないのです。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は黄泉から逃げ帰る際に、追って来る鬼たちへ桃を投げて無事逃げ切ることができました。

豆は「節分」の行事で「鬼は外!」と投げるからよくご存知の方も多いことでしょう。
もともとは中国の年末に行われる「追儺(ついな)」の儀式がもとになっており、日本へは応永年間(1394~1427年)に持ち込まれました。

ただ、豆で作ったはずの味噌や豆腐は大好き、という変わった嗜好を鬼は持っています。他に、ブドウや酒を好みます。なお、人間を喰らう時は頭だけは残すという不思議な習慣があります。


●鬼と信仰
民話に出てくる鬼は、恐ろしい反面、フレンドリーな雰囲気を持っています。
「こぶとり爺さん」の話にもあるように、彼らは敵対しなければ、なかなか豪快で気のいい連中なのです。酒をタダで飲ませたり、代金以上の薪を持ってきたり、人間のコブを取ったりと、鬼に幸福や褒賞を与えられた民話は数多く存在します。

このように、鬼と人びとの存在は、意外と不可分の関係にあります。
それゆえ、容易に鬼は信仰の対象に変わることがあります。鬼を信仰するなんて、そんな馬鹿なと思われるかも知れませんが、「天神様」こと菅原道真公が、一度は鬼(雷神)とされながら、その後神社に祀られて「天神」として崇められたことを思い出して下さい。

また、鬼が雷神・風神信仰や仏教思想と鬼が結びついて、雷神・風神や地獄の獄卒が鬼のような姿になったことも見逃せません。


●中国の鬼
中国では鬼を「き」と呼びます。
人間には「魂(こん)」と「魄(はく)」の2種類のたましい(併せて魂魄〈こんぱく〉と呼ぶこともあります)があり、死後それが魂と魄に分かれ、魂は天上へ、魄は地へ帰ることになっています。
「鬼(き)は帰(き)すなり」という言葉は、それを端的に表したものですが、ところが自殺したり、この世に未練を残したりして死ぬと、魄はいつまでもこの世にとどまって姿を人びとの前に見せると言います。

このような幽霊のことを、中国では「鬼(き)」と呼び、恐れたのですが、日本はその文字を従来の「おに」に充てました。
そこへ仏教思想の悪神(羅刹、夜叉など)や中国の霊的な存在、日本古来の邪神、悪霊、アウトローなどの思想などが入り込み、入り乱れたので、日本の「鬼」はいまいちわけの分からない、複雑な存在になったのだと言われています。

種々の怪物を表す「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」という言葉にも「鬼」という文字は使われています。
中国古典の史記によれば、魑魅魍魎の「魑(ち)」は虎の形をした山神、「魅」はイノシシの頭をした人間みたいな沢の神で、魍魎は「淮南子(えなんじ)」「左伝」などに見え、双方ともに水神という記述が見えます。「和漢三才図会」では魑魅を山の神、魍魎を水の神としているようです。


●鬼門
鬼門、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。そこに入り口やトイレを作ると、鬼が出入りするようになるという思想のことで、方角としては北東を指します。

この方角は十二支で言うところの「艮(うしとら/丑寅)」に当たり、そこから鬼は牛(丑)のような2本の角を持ち、虎(寅)のふんどしをはくようになったのだ、と言われています。

陰陽道では鬼門の方角は北の「陰」(マイナスエネルギー)が東の「陽」(プラスエネルギー)に転ずる急所とされ、警戒されます。



●亜種・別名など
鬼神(きしん)

2014年7月 5日 (土)

鞍馬天狗Kurama-Tengu

●鞍馬山の天狗
鞍馬天狗は「鞍馬山僧正坊」とも呼ばれる、天狗を代表する強力な存在です。

一説に、「遮那(しゃな)王」源義経に武技を教えたのもこの天狗だと言われ、その話は能にもなりました。別名、「護法魔王尊」とも言います。鬼一法眼と同一視する向きもあります。

江戸時代中期に編まれた密教系の祈祷秘経「天狗経」にある48の大天狗のひとりに数えられます。近年は大佛次郎の小説で一躍その名がとどろきました(もっとも、大佛次郎の方は人間という設定ですが)。

一説に、金星からやってきた宇宙人で、サナートクマラという名前を持っているとも言われていますが、どこまで本当なのかは分かりません。



●亜種・別名など
天狗

クネユスリKuneyusuri

●生け垣をゆする妖怪
クネユスリ(くね揺すり)は「クネコスリ」とも呼ばれる日本の妖怪です。
「くね」とは生け垣のことで、その名の通り、生け垣をいきなりザワザワッと揺らして、人びとを驚かせます。ただ、それ以上のことはしません。基本的に人畜無害な存在です。

主に出羽(秋田県)の角館で語られる妖怪で、その姿は人には見えません。

小豆洗いと必ずペアで現れ、小豆洗いのいるところ、クネユスリも現れると言いますが、両者に特別な主従、交友関係はないようです。

地元の物知りの間では、蝦蟇(がま)が背に水を受けて、それを揺すって落とす時に起きる音だとされており、妖怪のしわざと考えない人もいます。



●亜種・別名など
クネコスリ

子泣き爺Konaki-Jijii

●爺の妖怪
子泣き爺(こなきじじい)は「児啼爺」とも書く、徳島県の妖怪です。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」で有名になりました。

山間部に棲み、姿は小さな爺さんそのものですが、「ゴギャー、ゴギャー」と子供のような泣き声を出します。

道行く人が、はて捨て子か、可哀想にと拾い上げると、それが赤子ではなく、「爺」の顔であることに気づきます。慌てて放り出そうとしても、しっかりしがみついて離れません。そして、どんどん石のように重くなって、最後には押しつぶされて殺されるということです。

四国にはこのような赤ん坊の形をした妖怪が何種類かあり、そのいずれも、子供の泣き声で人を呼び、背負われた途端に重くなって人をつぶし殺します。
一説には一本足ともいい、子泣き爺が泣くと地震が起こるともされています。

姿がなく泣き声だけで、見つけると「背負うてくれ」と頼む「オギャナキ」というバリエーションもあります。
四国ばかりでなく、海を隔てた岡山県や和歌山県でも、この妖怪の存在が報告されています。


●子泣き婆
四国から遠く離れた津軽(青森県北部)では、「子泣き爺」ならぬ「子泣き婆(こなきばばあ)」の存在が報告されています。

和井内行松という人物が、山で迷っていると、ひとりの老人に出会いました。家に泊まるよう勧めるので、行松はその後をついていきます。

途中、やにわに山道で赤ん坊の泣き声がしました。老人はその赤ん坊を拾い上げると抱えて歩きます。
すると、別の場所でも赤ん坊が泣いているので、行松はそれを拾い上げようとしました。ところが、この赤ん坊の顔はしわくちゃの婆だったのです。
しかも重くて持ち上がりません。老人はそれをひょい、と簡単に持ち上げると、家の釜にその赤ん坊を入れて火をつけます。しばらくしてから釜を開けると、それは立派なカボチャでした。

翌日、老人の案内で山道をようやく抜けると、行松は別れ際に、「昨日食べたあれはカボチャでしょうか」と聞きました。すると、老人は「いや、子泣き婆だよ」と言ったということです。


●子泣き爺の正体
子泣き爺の正体は謎に包まれています。一説に山の精が、人の山道に入るを嫌って化けたものとも言われていますが、はっきりとは分かっていません。

ただ、赤ん坊が拾い上げられた途端に安心して眠りにつき、重さを増すことは充分にあり得ることで、また、赤ん坊の本気で泣く顔はしわくちゃで老人の顔に見えなくもありません。
もしかすると、そのような事例が合わさって、「泣く爺」の伝承に繋がったのかも知れません。



●亜種・別名など
オギャナキ/オギャアナキ/ゴギャナキ/芥子坊主/山赤児(やまあかご)/児泣き/子泣き婆/夜啼き(よなき)

カラス天狗Karasu-Tengu

●中世主流の天狗
今は天狗と言えば、赤顔鼻高の天狗が主流ですが、かつては猛禽類の貌をした種が主流とされたこともありました。

「カラス天狗」はその猛禽類系の天狗につけられた名前です。「カラス」の名の通り、上から下まで真っ黒な身体をしていますが、その顔はどちらかと言えばトンビかオオワシのようであると言います。

近代の民俗資料にも、「カラス天狗に会った」という資料がいくつか散見され、たとえば、愛媛県の西条では、子供を連れて石鎚山に入ったら、ちょっと目を離した隙に子供をカラス天狗にさらわれたという話が残っています。
さんざん探してみても行方が分からず、家に戻ってみると、何と子供が先に帰っている。
聞けば、山頂付近で小便をしていたら、真っ黒い男が出てきて「こんなところで小便をしてはいけないよ。おじさんが家まで送ってあげるから、目をつぶっておいで」と優しく言われ、気がつけば家の裏庭に立っていた……という話です。



●亜種・別名など
天狗

河童Kappa

●水の妖怪
恐らく妖怪に興味のない人でも、河童の名を知らない人はいないと思います。
日本を代表する水の妖怪であり、頭に皿を乗せた子供のような小さい姿をしています。小柄ながら相撲が大好きで、キュウリをはじめとする夏の野菜や人間の肝、尻子玉(尻から出る玉のようなもの)を好物としています。

湖沼に棲む者が多いですが、海や山に棲む種もいると言われ、そのバリエーションは多岐にわたります。
水中の生活に適しており、まる一日は水の中に潜っていられます。河童の骨は水につけると見えなくなると言われ、その死骸を見つけることは困難です。

彼らは文字通りのおかっぱ頭で、その上に皿を乗せた、猿のような顔をしています。顔は赤く、目は黄色でまん丸です。甲羅を持つものと持たないものの二種類があり、どちらも有名です。

手の指には水かきがあり、足の裏には吸盤がついていて、小さな尻尾を持ちます。生殖器は外側からは見えません。
両腕が身体の中で繋がっており、片腕をぐいと引っ張ると、どこまでも伸びます。引っこ抜けてしまう場合もあるようです。身体の表面はぬめぬめとしており、非常に生臭い臭いがします。

また、肛門が三つあり、そこから噴き出されるおならは強烈な臭いを持つと言われています。まともに嗅ぐと即死することさえあると言いますから、恐ろしいものです。


●河童の好物
河童の好物はキュウリなどの夏の野菜です。特にキュウリの先につく花は大の好物です。キュウリ以外にも茄子やかぼちゃ、胡麻の茎などを食うとも言われています。

その一方で、恐ろしいものを好物とする種もいます。
ある河童は、人間の生き肝と尻子玉を好物としており、襲われた人間はピンポン球を抜いたもののように、ぽっかり肛門に穴が空くそうです。

もっとも、これには別の解釈もありまして、水に落っこちて溺死した人間(むろん、河童のせいでなく!)を人びとがよく観察した結果だとも言われています。
肝がないのは、体内に魚が侵入し、内臓を食い荒らした結果。肛門にぽっかり穴が空くのは、溺死した人間の体内に腐敗ガスが溜まり、身体が膨らむのと同時に、括約筋の働きも止まるので、肛門が開ききって、まるでピンポン球か何かを抜き出したような形になるというのです。

一説には、河童が好物としているのは肝の方だけであり、尻子玉は龍王に捧げるとも言われています。この他に、血を吸う河童もいます。


●河童と相撲と頭の皿
河童はどの種類も、おおむね相撲を取るのが大好きだと言われています。
彼らは小さいながら、人間の大人顔負けの怪力を誇り、時折それを誇示するために、人間と相撲を取ると言います。勝てば喜び、負ければ何度でも、相手が疲れ果てるまでやります。

そんな彼らの弱点は、頭の皿です。ここに水をたたえていないと、からきし力が出ないのです。
そのため、河童に出遭ったら「まずお辞儀をしろ」と言われています。そうすると、河童もお辞儀をするので、頭の皿から水が流れ、力が抜けるので、見事河童から逃れることができるという寸法です。

逆に、水の中にいる河童は、文字通り水を得た魚のように動き、怪力を発揮して、牛や馬を引きずり込むこともあるそうです。


●河童の超能力
河童は自分の姿を消す超能力を持っています。また、人間や動物に化けたり、毛鞠(けまり)のようなものに変身する力を持っていると言います。
また、人や家畜の中に入り込むことができ、子供などが取り憑かれると、一日中川や沼を見つめ続け、最後には水に入って溺れ死にます。もしも、そのような子供たちを見つけたら、僧侶に頼んでお祓いをしてもらわなければなりません。

彼らはまた、金属による切り傷や接骨のためによく効くクスリを作ることができます。このクスリは「河童膏(かっぱこう)」と言われ、しばしば人間に捕らえられた河童が、解放される条件としてこのクスリを渡すことがあります。


●河童の繁殖
河童はオスもメスもいますが、繁殖する時は人間の力を借りることがあります。川遊びをしている女の子を見かけると、その中に入り込んで身ごもらせてしまうのです。

人間の出産は十月十日(約280日)ですが、河童の場合はその3分の1の期間、3か月ほどで、12匹もの子供を生むと言われ、生まれた河童はすぐに水の中へと入ってしまいます。


●河童の起源
河童の起源については、主に三つの説があります。

第一の説は、中国大陸から海を渡って来たというものです。

彼らは、もともと中国の黄河上流に棲んでいましたが、もっと棲みよい場所を求め、黄河を下り、海に出て、東シナ海を越え、日本にやって来ました。
彼らは球磨川(くまがわ)の上流に住居を構えると、実に9000匹近くまで増え、その族長は「九千坊」と呼ばれました。

九千坊たちは数をたのみに、人間の畑を荒らし、女子供を襲ったので、肥後の国(熊本県)に来た加藤清正が、河童の天敵である猿を肥後じゅうから集めてきて九千坊に向かわせます。
さしもの河童もこれにはかなわず降参し、隣の筑後の国(福岡県)の筑後川上流へ棲むようになり、水の神様の水天宮につかえて日本中に広まっていったということです。

第二の説は、もともと藁で編まれた人形が、生命を吹き込まれて河童となったという説です。

大和(奈良県)の三笠山に、春日大社を造営した時のことです。工匠の内匠頭(たくみのかみ)が人手を得るために、藁を十字に編み、生命を吹き込みました。
すると、人形はするすると動きだし、見事春日大社をとどこおりなく完成させました。その人形は川の中に捨てられましたが、生き延びて河童となりました。河童の腕が身体の中で繋がっているのは、その人形時代の名残だと言われています。

第三の説は、もともと水神として崇められていたものが、のちに零落して河童になったという説です。
河童の方言として、メドチ、メットゥチ、ミンツチなどがありますが、これは龍神の異名である「ミヅチ」がなまったものだと言われています。


●河童と水神
河童は水神と密接な関係を持っています。

彼らがキュウリや相撲を好きだというのは、昔、神事にキュウリなどの初なりの野菜や相撲を奉納した名残であり、水神の下に河童がいるというのは、神が水の精霊を打ち負かすことにより、農耕に欠かせない水の供給を約束させたことに通じます。

もっとも、河童の中には水神としての性質を強く持っているものもあるようです。
たとえば、三重県の河童であるシリコボシ、ゴボシは「竜宮さん」と言われています。竜宮とはその名の通り、竜(=水神)の宮、あるいはその住人を表します。水神=河童という考え方もまた根強いのです。


●河童のミイラ
面白いことに、日本各地には河童のミイラというものが残っています。
その正体は、猿などの骨に亀の甲羅や魚の下半身をくっつけたもので、これをもって「日本には河童が実在した!」と騒ぎ立てる人もいますが、実際はヨーロッパ人の渡来とともに、マーマン/マーメイド伝説が持ち込まれ、それを聞きつけた商人たちが、ヨーロッパ人の歓心を引こうと作り上げたものだと言われています。



●亜種・別名など
カワタロウ/ガッコ/ガッタイ/ガッタロ/ガッタロー/カンキチ/ゴンゴ/シバテン/淵猿/カワエロ/川猿/メドチ/ガワイロ/カワッパ/シリコボシ/ゴボシ/ガアタロ/河小僧/祇園坊主/ガオロ/シイジン/ミンツチカムイ/ガラッパ/ガウル/ガラル/弥々子河童/一目入道/ワロドン

2014年7月 4日 (金)

一反木綿Ittan-Momen

●布の妖怪
一反木綿(いったんもめん)は大隅(鹿児島県)で語られる妖怪です。
「ゲゲゲの鬼太郎」で有名になりましたが、もとはローカルな妖怪であり、人を殺すこともあるという、恐ろしい存在です。

一反(縦10.6メートル、幅38センチぐらい)の布の形をしており、夜にヒラヒラと舞って人の通りかかるを待ちます。
ひと目には洗濯物が飛んでいるようにしか見えません。しかし、それが突如人へ襲いかかります。そして、首に巻き付いたり、顔面を覆ったりして窒息させ、息の根を止めるのです。

その正体はものの精という説もあるようですが、では何の精なのかと言えば、とんと見当がつきません。

一反木綿の性質を表すエピソードとして次のような話が伝えられています。
ある夜、ひとりの男が家路を急いでいると、空からスーッと白い布が落ちてきました。驚いて足を止めると、布は突如男の首に絡みつきます。
男は持っていた脇差しで布を斬ると、布はどこかへ消えてしまいました。しかし、男の手には血しぶきがついていたということです。


●衣のお化け
平安時代末期に編まれたとされる「今昔物語集」には、次のような話が載っています。

冷泉院(れいぜんいん)の東に僧都殿(そうずどの)という怪物屋敷がありました。頻繁に奇異なことが起こるので、ついには誰も住む者がいなくなりました。

この僧都殿の敷地の戌亥(いぬい:北西)に、古い榎(えのき)の大木があって、夕方になると一枚の単衣(ひとえ)がふわり、と飛来し、榎の枝に止まるので、それを見た人は近づかぬよう気をつけていました。
ところがある日、とある武士が、その化け物を退治しようとやって来ました。

果たして、夕方ごろになると、確かに竹藪の中から一枚の単衣が飛んできました。
武士はやにわに弓を射ると、その単衣に見事命中しました。ところが、単衣は何事もなかったかのように榎の枝に止まります。しかし、榎の下の土を見ると大量の血の跡があるので、こいつは怪物に傷手(いたで)を与えたか、と思い、意気揚々と帰ります。

武士は帰宅すると、皆にあったことの顛末(てんまつ)を伝えます。皆はゾーッとして、肌に寒さを覚えますが、当の本人は涼しい顔。夜になって何事もなく寝床に入りました。

しかし、翌朝、武士が起きてこないので寝床へ確かめに行くと、本人は既に亡くなり、冷たくなっていました。それを聞いてもろびとは、「功名に駆られて赤い単衣に殺されたか」とあざ笑った……という話です。


●ヌノガラミ
また、青森県には次のような伝説が残っています。

三戸郡の長坂というところに、昔、「布沼」という大きな沼がありました。この沼には「ヌノガラミ」という妖怪が棲んでおり、人びとに恐れられていました。
布に化けて水のほとりに引っかかったふりをして、それを取ろうとした人を沼の中へ引きずり込み、溺れ死にさせるというのです。

ある日、妻子をこの「ヌノガラミ」に殺された男が、この怪物を退治せんと乗り込みます。神のお告げで鳩の卵を一箇持っていき、沼のほとりで一心に祈り続けていましたところ、沼がにわかに音を立てて、水がざわめき出しました。
そこで男は、この時とばかりに鳩の卵を割り、布沼へと投げ込みました。すると、大きな音を立てて、水面に「ヌノガラミ」の屍体が浮かび上がったということです。


●中国の「一反木綿」
似た話は日本ばかりでなく、中国にも残っており、蒲松齢の中国の怪談集「聊斎志異(りょうさいしい)」には、一反木綿に似た「衢州(くしゅう)三怪」という妖怪の話が綴られています。

浙江省(せっこうしょう)の衢州という町には、夜になると3種類の妖怪が徘徊すると言われていました。

第1の妖怪は、一本の角を生やした人間の姿で、城壁の上の鐘楼(しょうろう)に棲んでいます。

第2の妖怪が一反木綿に似た姿で、城内の池の岸辺に棲んでおり、布のような形をしています。人がそれを拾おうとすると、たちまち動き出して、身体に巻き付き、池の中へ引きずり込んで溺死させるのだそうです。

第3の妖怪は池の中に棲み、アヒルのような形をしています。



●亜種・別名など
布団被せ/衾(ふすま)/ヌノガラミ/衢州三怪

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